日記

超個人的な日々の記録

自宅でGWを満喫しているの巻

県内の実家へ帰省せず、本当に一人暮らしを満喫しているmotsuです。

5/2~5/6の5日間がわたしのお休み。今年は外出もできないし、何しようかしら?と考えた結果、掃除と読書と映画鑑賞と料理。昨日は初めてハンバーグを作りました。生焼けが怖すぎて一生懸命蒸し焼きにしたので見た目最悪だったけど、美味でした。

今日は連休3日目。折返しか…しんどいなぁと思いつつ、蒸し暑い室内で穏やかな休日を過ごしています。

 

考えさせられた本の話 ※ネタバレを含みます。

唯川恵さんの本が好きです。「いるよねーそういう女!」って感じの、女性らしい女性像や煩わしい人間関係を描くのがとても上手い。特に『セシルのもくろみ』に出てくる主人公・奈央とその夫との関係性、読者モデルたちの競争心、同窓会で明らかになる独身・共働き・専業主婦それぞれの思惑と発言が、まだ経験したことのないわたしにもリアルに訴えかけてくるのです。

『逢魔』(新潮文庫、2017)の中に「朱夏は濡れゆく」というお話があります。これは「牡丹燈籠」という古典を下敷きにしたお話で、堕落した生活を送っていた浪人・新三郎が直参旗本の娘である「露」という若い女との出会いをきっかけに、情欲に塗れた恋に堕ちていく話。いわゆる身分違いの恋というもので、新三郎と露は互いに夫婦の契りを結ぶものの、露に身分相応の縁談がもちあがったことで破談となり、離れ離れにされてしまう。が、露は夜な夜な新三郎のもとへ参り、熱い一夜を過ごしていく…。実はその露は、新三郎と一生離れ離れになることに絶望し、死んだ露の死霊だった。新三郎の友人とその周囲にいる人物は、新三郎に「現実を見据えて生きなさい、まだ若いんだから」と説得するが、露の甘言に惑わされるかのごとく新三郎は死霊との情事に熱中し、そのまま自身が屍となってしまった…という、だいたいこんなお話。

新三郎は世の中を退屈で、生きている意味がないと感じていた。そこに「露」という愛すべき女が現れ、最終的には愛に溺れるように自ら「死」を選んだのです。露がいない世の中など、退屈で仕方がない。生きている意味がないではないか、と。

私はこの話を読み終わって、新三郎の選択を責められるだろうか?と自問しました。

刹那的な欲求に囚われて身を亡ぼすのは愚かでしょう。でも、生きる意義なんて人それぞれなんだから、20代で愛する人と死にたいと考えても別に自由じゃない?という考え方もあるかな、と。

現代は、手を伸ばせばなんでも手に入る恵まれた環境に過ごしている。定職があるので毎月概ね決まった給与が手に入り、贅沢をしなければおいしいものが食べられて、良い生活も保障されている。病気になれば医者にかかることが出来、しかも国民皆保険制度のおかげで3割負担で済む。戦時中やらはるか昔の環境に比べれは、飢える心配も、病で即死するような心配もない。

それでも、どこかで満たされない現状を抱えて生きているのが私たちですよね。毎日「退屈だなあ」「仕事嫌だなあ」なんて考えながら、なんとなく日常をこなしている。

退屈だ退屈だと思いながらなんとなく日々を過ごして100歳くらいまで生きるのと、太く短く生きるのと。さて、どっちが自分にとって幸せなんでしょうね?